2020年2月11日(火)
天使目線の心理法則05:自意識は妄想する
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 他人は自分が思っているほど、自分のことをそ気にしていない

 すれ違いざまに人が笑い声を立てると、「自分のことを笑われたのでは?」と思うことがありませんか。あるいは、近くで誰かが咳払いしたとき、「えっ、なに?」「いったい何なの?」と思ったことはありませんか。それが自分に向けられた咳払いのように聞こえてしまうようなことが……。

 でも、振り返ってみると、誰も自分のことを見ていなかった。自分とは関係のないところで笑いが起こり、咳払いをしている人がいた。そんなことはよくあるものです。
 
 わたしたちはいろんなことを自分に関連付けて考えてしまう傾向があるようです。自意識過剰ですね。

 もし、自分以外にもそんな人がいたら、これはちょっと危険なこともあるかもしれまんよ。もし、あなたが町のどこかで、周りのことを気にせずいきなり笑い声を挙げたり、大きな咳ばらいをしたりすると、誰かがそれを自分に向けられたものだと感じるかもしれません。見ず知らずの人が気を悪くしているかもしれません。怒りを感じている人だっているかもしれません。相手がたちの悪い人でなければいいですが……。

 人はみな自意識過剰にできている!

 私たちは自分で思っている以上に、自分のことを他人と関連付けて考えているようです。そのとき自意識がしっかりと働いています。「人からどう見られているのだろう」「どう思われているのだろう」などと思うのは、自意識によるものです。

 自意識が強いと、他人の眼が気になり、なかなか自然に振舞えなくなりますね。他人から見られている自分を意識しながらの言動はどこかぎごちないものになってしまいます。

 あまりに自意識過剰の人は、人前を横切るときも、どんな姿勢でどんな歩調で歩けばいいのか、あごはどのくらい上向きがいいのか、下向きがいいのかなどと考えているうち、足がもつれて転びそうになってしまうかもしれません。

 この自意識は自分の中の空想の世界とつながっています。「自分は人からこんなふうに見られているかもしれない」「あんなふうに思われているかもしれない」というのは、想像であり、きわめて主観的なもの。相手がじっさいにそう思っているかどうかということとは、ほとんど無関係なのです。

 自分と他人とを関連付けていながら、それはまったく相手とは無関係なことなのですね。
   

 たとえば、ある朝、あなたが同僚に「おはよう」と声をかけたとき、彼(彼女)がそっけない態度で通り過ぎてしまったとします。あなたは彼女の態度を「いったいどうしたのかしら。私のことを怒っているのだろうか」などと自分に引きつけて考えるかもしれません。

 けれども、彼(彼女)はその朝、急ぎで片付けなければならない仕事があって、焦っていただけなのかもしれません。あるいはプライベートなことで、何か気がかりなことがあったのかもしれません。、何かに気を取られて、上の空だったのかもしれません。

 場合によっては、じっさいにその同僚はあなたのことが嫌いで、あなたの「おはよう」という挨拶に、返事もしたくなかったのかもしれません。

 じっさいはどうなのでしょう? 

 自意識に縛られていると、その実際がどうなのかを見極めることができません。自意識を薄めることによって、少しずつ客観的な視野が広がってくる。観察者としての自分が浮上すれば、自分の周りの状況が把握できるようになります。

 その時、みんなは自分のことを笑っていたのか、自分に咳払いしたのか、彼女は自分のあいさつをわざと無視したのか……。視通せるようになる。

  自意識を手放せば、周りの世界が見えてくる


「自分はどう見られているか」「どう思われているか」「きっとこんなふうに思われているに違いない」「こんなふうに思われたらどうしよう」などと思い悩んでいるときは、自分の頭の中の空想の世界に入っているときです。

 他者との関係も、リアルな相手不在の、おそらく関係妄想的な関係でしかなくなってくるわけです。

 相手はあなたが自分のことを気にしているほどに、あなたのことを気にかけてはいないでしょう。周囲の人は誰もあなたの一挙手一投足に注目し、ああだこうだと思ったりはしていません。

 みなそれぞれに自分のことで忙しいものです。あなたにはあなたを中心とした世界があるように、その人にはその人を中心とした世界があります。あなたが気にしている〃そんなこと〃に、他の人は気づきもしないかもしれないのです。

 あなたがSNSに載せている写真や記事、みんな見てくれているだろう、読んでくれているだろうと思っていても、意外と見ていなかったという人は多いかもしれません。丁寧に見てくれている人がいたとすれば、そういう人はほんとうにありがたい友人ですね。

 


 人は自分がしがみついている自意識そのものに苦しめられる


 自意識というものは、自我の意識なわけだから、自我に囚われなければ、自意識に苦しめられなくなるでしょう。自意識は凝り固まった自分。自意識が強いほど、自我の可動域=心の可動域が狭くなり、心の視野が、実際の視野もそうかもしれない、狭くなってくる。そして、目の前の真実が見えなくなってしまうわけです。

 心が解放されるということは、一つにはこの自意識から自由になるということなのでしょう。

 私たちは自意識がないと、自分ではなくなってしまうように感じるのかもしれません。でも、その自意識そのものに苦しめられていることも多いのではないでしょうか。

 自分はこういうところがある、こう感じる、こんな風なことで傷つけられたなど、ブログなどに書き連ねても、SNSで発信しても、自意識から出てきたものはとうとうと続く、終わりのない自分語りになってしまうことがあります。自我のループにはまり込み、抜け出せなくなってしまう……。

 自意識に捕まっている自分というのは、実はリアルな自分とつながっていないということでもあります。自分というものは自意識だけでできているものではないからです。

 自分を見る視点を変えてみましょう。自分を俯瞰してみましょう。自分を俯瞰するとはどういうことなのか。それを自我の考えで理解しようとしないでください。

 自意識は自分の中のほんの一部にすぎないのです。


 
 
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