2019年5月28日(火)
人の話を聞かない人ほど 自分の意見を押し付けたがる
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「オレに言わせれば」って、別に聞いてないし~

 初対面の人が多い席では、「それぞれ一言づつ自己紹介を」と言われることがあります。そんなとき、自分は何を話せばいいのだろうかと、迷うことがあるものです。

 人前で話をすることに慣れた人なら別でしょうが、そんなに慣れていない人なら、できるだけ手短に無難にすませようとするのではないでしょうか。

 そんななかで、いきなり自分の意見や主義主張を語りだす人がいます。「わたしはこういう人間なのですが、思うにいまの世の中」云々・・・。

 たとえば、リタイア後にコミュニテイ活動や何かの勉強会グループに参加し始めた男性などに、こういう人をよく見かけます。飲み会の席で、「オレに言わせればだなあ」などと、部下に向かってくどくど自説を垂れ始める上司もいます。

 求められもしないのに自分の意見を言いたがる人たちです。しかも、そういう人は自分の意見を相手に押し付けようとします。

 ある団体の会長は、その会の活動について取材をしにきた記者に、「きみねえ、興味本位で、面白半分にうちの活動を取材されても困るんだよ」などと言い出す人でした。でも、取材を受けることを承知したのは、その会長だったのです。若い記者はなぜ、自分が説教されなきゃいけないんだと憮然としましたが、会長には悟られないよう頭を下げて帰ったそうです。

 新しい引越し先で、子供を連れて近所に挨拶に行ったU子さん。ある家ではたまたま在宅中の「ご主人」が対応に出てきて、家族構成やら夫の職業やらを尋ねられたあと、「あなたも小さいお子さんがいて大変だろうが、子供のしつけはまず家庭からだよ。とくに母親がしっかりしないとね。それにしても、近頃の若い親たちはなっとらん。あなたのことを言っているのではないんだが」などと始まり、ひとしきり子育て論を聞かされたそうです。

 自分の意見を押し付けたがる人の話は、たいてい説教じみたものになります。話の中身は本人のこれまでの経験からくる常識的なもの。どこか、かび臭い倫理道徳の匂いのする、いわゆる正論と呼ばれるようなものがほとんどです。正論だから、聞いているほうは別に面白くもなんともない。「それがどうしたの?」というようなものが多いでしょう。

 

けれども、こういう人は「自分がいちばん正しい」と思っているもので、相手はその意見を聞くべきであるという前提に立って話しています。

だから、だいたいが人の意見など聞こうとしていません。仮に、人の意見に耳を傾けているように見えたとしても、それは「いや、きみはそういうがね、わたしが言いたいのは・・・」と、相手の意見を批判材料にして、より自分の意見を強く押し付ける材料にしているだけです。

 こういう人は年配の男性が目立ちますが、若い男性や女性のなかにもいます。それは、自分の意見が絶対で、他の人間はその意見に従うべきであると考えているような人であり、人の話が聞けない人です。

 だいたい、こういうタイプの人は自分が「先生」と呼ばれる立場に立つことを好みます。「先生」であれば、一方的に説教を垂れることが認められるからです。じっさいに、学校の先生も含めて「先生」と呼ばれている人のなかには、自分が教えてやる立場だというところから降りられない人がいるものです。

 そして、口には出さないまでも、「自分は偉い」と思っているのです。

 「自分は偉い」と思っている人は、タテマエでは平等公平といったことにこだわりますが、じっさいは権威主義です。ですから、こういう人は周囲の人との対等な人間関係が作れず、みなから疎ましがられることになるのでしょう。

 一方的に、意見を聞かされるだけでは、誰でもその人と話をしたいとは思わないものです。ところが、自分の意見や主義主張を押し付けたがる人は、友達と付き合いたがるものです。「友達」の方は、ああまたかと思いながら、彼(彼女)の話を聴くしかないのです。でも、みんなで楽しく盛り上がろうという場には、彼(彼女)を呼ぶのはやめとこうか、と思うかもしれません。

愚かな選択→自分の意見や主義主張を人に押し付け、認めさせようとするが、他人の意見や主義主張には耳を貸さず、ただ反論するだけである。自分と異なる意見の人に対して感情的に反論する。それはただの頑固者。年を重ねるごとに周りの人から嫌われる。

賢い選択→相手の話に耳を傾け、肯定的に受け止めることができる。お互いの意見や考え方の違いをも尊重することができる。意見や考えが違うからと言って、感情的になる必要など何もないことを知っている。
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