2019年5月28日(火)
自分に価値があると思えないとき、他人を見下す。
img01
「自分はダメな人間なんだ」という人が
「世の中の人間はみんなバカばっかり」と思っている。


 自分に自信が持てず、自分には何の価値もないように思えるとき、気分は抑うつ的になり、引きこもりがちになります。周りの世界は輝きを失い、モノトーンの暗くよどんだ世界のなかに沈んでいくように感じられます。他人はみな薄っぺらい紙人形のように見え、個性を持った人間として感じることができなくなります。自分だけが深く悩んでいるように思え、うっとうしい自意識だけがどんどん大きく膨らんでいきます…。

 これは筆者自身が抑うつ状態になったときの描写です。

 『他人を見下す若者たち』(速水敏彦)という本の帯に、「『自分以外はバカ』の時代!」というコピーが載っていました。落ち込みがちな気分のなかで、どんどん自我肥大が起こっていく。これはまさしく思春期から青春期にかけての自我です。

 自分が何者なのかもわからず、心の奥では劣等感にさいなまれ、「自分はダメな人間なのかも」という思いを抱いている。その一方で、自分の能力や才能が認められないのは、周りの人間がみな俗物で、自分のような個性ある人間を理解することができないからだと思っている。そして、他人を十派ひとからげにして、「世の中、バカばっかり」と見下しているというわけです。

 こういった傲慢さは自信のなさの裏返しです。自分に価値があると思えないからこそ、他人を見下す。他人を見下せば、相対的に自分の価値が上がったような気がするものです。
 インターネットの世界には、現実の社会ではうまく適応できず、自信を失い引きこもりがちの人が、チャットやブログに他人を見下したような書き込みをしていることがあります。しかし、よく言われていることですが、そういう人にじっさいに会ってみれば、顔をあげてまともに挨拶もできないような人間であったりするのです。

 以前、朝日新聞の何かの特集記事で、妻を自殺で亡くした夫の告白を読んだことがあります。男性は編集者かライターで三十代、彼の妻も同じような職業の人だったと記憶しています。

 その男性が語るには、亡くなった妻は自分には生きる価値などないのではないかと悩んでいたらしい。また、彼女にはやはり自死した友人がいて、二人は生前よく「世の中、バカばっかり」と話していたということです。

 その言葉に阻まれて、筆者は自殺した女性たちにどうしても、共感を覚えることができませんでした。しかし、傲慢に聞こえる言葉の背後には、「自分は生きている価値もない」という、死ぬほどの苦しみがあったわけです。

 自分を価値ある存在と感じられてこそ、他者をも価値ある存在と認めることができるのではないでしょうか。

 有名なアスリート、俳優、アーチスト、科学者、作家、企業家など、一流の人たちが、世の中には自分よりすごい人がいるということを認めています。インタビューに答えて、具体的に尊敬する人物や目標とする人物の名を上げているのを見ることもあります。

 はたから見れば、十分に持てる才能を発揮し、社会でも評価され、実力を認められている人たちが、「自分を最高」と思うのではなく、むしろ、自分より優れた人のほうに目を向けているのです。自分の個性が生かされていると思えるときこそ、他人の個性がまぶしく際立ち、「世の中、すごい人がいる」と思えるものなのではないでしょうか。

 何かの目標に向かってエネルギーを注いでいる人や自分の仕事に誇りを持って働いている人は、人を見下す必要がありません。

 傲慢さは自信のなさの裏返し。「世の中、バカばっかり」と思えるときは、あまり精神状態のよくないときと思ったほうがよいでしょう。どこかで、自信を失いそうになっているのです。いやすでに、自信を失っているのかもしれません。

 でも、もし自信を回復することができれば、周りの人がバカに見えることもないでしょう。人を見下す必要がありません。

 自信を回復するには、人と接していることが必要です。ネット上だけの付き合いではなく、生身の人との交わりを持ちましょう。生身の人間と接していれば、自分の狭い想像力では及びもつかない人生のさまざまな体験、深い体験を持つ人々と出会うことがあります。

愚かな選択→他人の個性が感じられず、周りはみんなバカに見える。そのことが自分の劣等感や自信のなさからくるものであることに気がつかいていない。

賢い選択→周囲の人を個人として受け止めている。自分よりも、むしろ周りの人の能力や魅力に気づき、世の中にはすごい人がいると感じている。そういう人は周りからも認められている。

最新の記事