2019年6月4日(火)
「誰からも好かれる人」なんて、いない。
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「誰からも好かれる人」になるのは無意味


「誰からも好かれる性格になりたい」という人がいます。そういう人はじっさいには、「自分は人に好かれない性格だ」とか、「なかなか友達ができない」といったことで悩んでいる場合が多いものです。新聞やネットの相談コーナーにも「どうしたら人に好かれる性格になれるでしょうか」といった相談が寄せられることがあります。

「人に好かれる性格」ということでイメージされているのは、明るく楽天的で、屈託がなく、誰とでもこだわりなく付き合えるタイプの人。そういうタイプの人はたしかに友人知人が多く、はたから見れば楽しい人生を送っているようにみえるかもしれません。おそらく、本人も「人生楽しまなくちゃ」と思っていることでしょう。

「自分は人に好かれる性格ではない」と感じている人の多くは、自分の性格を暗いと感じ、コンプレックスを抱いているものです。それは子供のころに、学校で「元気で」「はきはき」「明るい」「よい子」が求められ、「誰とでも友達になりましょう」「みんなと仲良くしましょう」と言われてきたことが、ずっと心の中に残っているからなのかもしれません。学集団生活向きの性格が、「人に好かれる性格」ととされることがあるからです。

 とくに小学校では集団に溶け込みにくい内気な子供は、あまり評価されません。自分を表に出さず、やることが遅く、時間がかかり、教師にとっては理解しにくく、扱いにくい子供だからです。そういう子供だった人が、「自分は人に好かれない性格だ」と思い込んでしまっていることが多いようです。

 しかし、どんな性格にも長所と短所があります。人から好かれる要素と同時に嫌われる要素があるものです。ほんらい、その人の持っている性格そのものにいいとか悪いとかはありません。ただ、その性格の「人に好かれる人」「好感を持たれにくい人」がいるだけです。

 たとえば、明るく楽天的な性格の人のなかには、調子がいいだけで無責任な人もいるかもしれません。そういう人は好かれないでしょう。内気な性格の人で、人と打ち解けず自意識過剰で、ただぐずぐずしているだけの人は好かれないかもしれません。明るく屈託のない性格の人で、きちんと責任を果たす人は好感を持たれるでしょう。内気な人も、思慮深く賢い人、内面の世界が豊かな人は、周りの人から好かれるでしょう。

好かれる人でも嫌われる


 また、好き嫌いは、お互いに馬が合う合わないといった相性の問題があります。ある人にとっては付き合いやすいが、別の人には苦手なタイプと感じられる人もいます。

 テレビや週刊誌でやっている俳優やタレントの好感度などを見ても、人によって好き嫌いが分かれているのがわかります。多くの人から好感を持たれやすい人はいるでしょうけれど、そういう人でも誰からも好かれるというわけではないようです。

 好きな芸能人・嫌いな芸能人のベストテンとワーストテンに、同じ人の名前があがっているのはよく見ることです。とくに個性がきわだつ人ほど、好き嫌いが大きく分かれるようです。

 世の中には誰もが口をそろえて、「あの人は(人間的に)よくできた人だ」「すばらしい人だ」と言うような人がいるものです。人からの尊敬を集め、その人を慕って多くの人が集まってくるような人がいます。しかし、そういう人でも、誰からも好かれるというわけではありません。必ず、「あんな人は嫌いだ」と言い、その人のことを批判したり、悪く言う人がいるものです。

 「誰にでも好かれる人になりたい」「好かれる性格になりたい」というのは、あまり意味がないように思えます。たとえ、自分は暗い性格だと思っても、いまのその性格をうまく生かしていける方向を探っていったほうがいいでしょう。自分の性格を受け入れ、ユニークなキャラクターを生かしていけばいいのではないでしょうか。

 それに、友達は多ければいいというものでもないはず。じっくり時間をかけて、自分と共通の趣味や関心事があり、馬が合う人を見つけていけばいいわけです。生涯に本当の友達と呼べるような相手など、そうたくさん見つかるわけではありません。


人を嫌う要因は嫌う側の人間に問題があることもある


 仮に誰が見てもあの人は人間がよくできていてすばらしい。高い能力を持っているのに、奢ったところがなく、謙虚で、誰に対しても思いやりをもって接する。あの人は、まるで欠点がない。まるで聖人か神様のような人だ!という人がいたとしましょう。

 しかし、そういう人ですら、誰からも好かれるわけではないのです。むしろ、そういう人だからこそ、憎まれることがあります。もっとも、そこにはまた、別の要因が絡んでくるわけですが…。

 もし、あなたのことを「あなた、そんなんじゃ人に好かれないでしょう」「あなたみたいな人は嫌われるよ」と言う人がいたとしましょう。それは同僚かもしれない、友達かもしれない、教師かもしれない、親かもしれない。

 その言葉を気にして悩む必要はありません。その言葉の真意は、そう言っている人が「わたしはそんなあなたが嫌いだ」ということなのですから。それは、その人が言っていること。あなたの本質ではない。

愚かな選択→自分の性格にコンプレックスを持ち、人に好かれるためには、自分の性格を変えなければならないと思う。「好かれる人ってこういう人」というイメージを持ってしまい、それが自分の本来の姿ではないのに、そういう人間でなければならないと思ってしまう。しかし、その背後には、本心で自分を変えたいという思いがあるわけではない場合もある。

賢い選択→自分の性格を理解し、性格を変えることよりも、性格を生かすことを考える。人に好かれようが好かれまいが、自分の個性を大切にする。なりたい自分のモデルは、他の人が持っているわけではないことを知り、自分自身を受け入れていく。「人」を基準にしない。
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