2019年6月13日(木)
目の前の雑事にとらわれ、ほんとうにやりたかったことを先送りにしていないか
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 これを片付けたら、今度こそ自分の好きなことをやろう。これまでやりたかったけれど、なかなかできなかったことをやろう。そう思いながら、いまだに手がつけられず、ついつい先送りになってしまっていることはありませんか。

 それをやりたいために、目の前の雑多な用事を一生懸命こなし、時間を作ろうとしているのに、いざ一つのことを片付けるとまた次の仕事が待っている。しかも、年を重ねるごとに、ますますやらなければならないことが増えてくる。これは仕事だから、人に頼まれたことだから、付き合いもあるしと、どんなに忙しくても断りきれないことがあります。

 そうして、時間に追われるうち、人生も半ばを過ぎて、ふと気がつくと、自分のやりたかったことはまだ何もやれていないような気がしてくる。いったい、自分はこのままでいいのだろうか。何か大事なことをやり残しているのではないか。そんなふうな焦りも感じ始めます。

 よく断捨離とか、捨てる技術が話題になります。筆者がかつて読んだ本の中に、『捨てる技術』(辰巳渚著)という本がありました。快適な生活をするための収納術についての本ですが、この本の著者は長年の間に溜まりに溜まった雑多なモノを思い切って捨ててしまおうと提唱しています。他にも、断捨離について、カリスマ的な人気を誇る女性がいますね。


 やらなくていいこともたくさんある。付き合わなくていい付き合いもある。


 『捨てる技術』によると、限られたスペースを不要なモノに取り囲まれて暮すより、いらないものは捨ててしまうことが、広々とした快適空間を手に入れるコツであるということでした。筆者がその本を読んだころは、断捨離についての考え方がはやり始めた頃でした。いまでは、この考え方は非常にポピュラーになっていますね。

 さて、『捨てる技術』はは収納だけではなく、生き方全般にも応用できそうではありませんか。

 やりたいことをやるために、捨てられるものがあるのではないか。これ以上、自分の時間を費やす必要のないものがあるのではないか。

 そうやって、一つ一つのことを点検してみると、自分ではやらなければならない義務のように思っていたことも、「じゃあ、それをやらなかったらどうなるのだろう」と問うてみると、別にたいして差しさわりがるあることではないかもしれません。

 人付き合いも同様です。むろん、大切にしていきたい人間関係はありますが、パーテイや集会、飲み会などは、誘われればすべてに顔を出さなければいけないというものでもありません。誘われたからと言って、誘いに応じなければならないわけではありません。なかにはあまり心弾まない付き合いもあります。人付き合いも減らすことができます。

 もっとも、人間関係を整理することは、なかなか勇気がいります。こんなことをしていると、自分だけが取り残されていくのではないか。誰も友達がいなくなってしまうのではないか。自分から出会いのチャンスをつぶしているようなものではないか。そんなふうな不安も頭をもたげてきます。

 それでも、目の前の雑事や付き合いに追われ続け、焦りを抱えたまま暮らすよりは、思い切って自分のやりたいことに時間とスペースを空ける生活をしたほうが、より充実感が得られるのではないでしょうか。



 駆り立てられる思いと本当に望んでいることは異なるのかもしれない。

 もし、日ごろ、たんなるお義理のような付き合いや、むしろ煩わしいだけのような人間関係を続けていることがあるとしたら…。

 ストレスにしかならないような人間関係であれば、できるだけ整理し、人生の収納棚からも捨て去ったほうがいいいのではないでしょうか。SNSつながりの人付き合いも、つながりが増えること自体は喜ばしいことかもしれませんが、ときに時間を無駄にするだけのこともあります。

 さて、筆者の場合ですが、やりたいことをやるために、捨てられるものを捨てていくと、面白いことにほんとうにやりたいと思っていたことが、じつはそうではなかったということに気がつきました。

 やりたくないことをやっているとき、これがやりたいと思っていたことは、本来の自分が望んでいたことではななかった。というか、それもまた、何かに駆り立てられるような思いであったということに気づきました。


愚かな選択→目の前の仕事や雑事、人間関係に追われ、自分にとっていちばん大切なことを先送りにし、「いつかやらなければ」と思いつつ日々を送り続ける。付き合う必要もない付き合いでストレスをためる。

賢い選択→仕事や雑事、人間関係の必要不必要を整理しなおし、自分が本当にやりたいことや大切に思っていることのために人生のスペースを空ける。そして、本当にやりたいことだと思っていたことをやってみると、これが本当にやりたいことだったのだろうかという問いが頭をもたげる。そこからが、じつは本来の自分に向かう道なのかもしれない。

※筆者の気づき:「いつかやらなければ」と思っている間は、じつは自分が本当は何を望んでいたのかわかっていなかったのかもしれない。

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